最近、WordPressで何かを調べようと検索しても、「あれ?前より日本語の記事が少ない」と感じる場面が増えた。
特にブロックエディター関連の情報は見つかりにくい。日本語でヒットする記事のほとんどは「ブロックエディターの使い方」なので、検索すると逆に時間がかかる。
カスタマイズに必要なフックを探すために、まずChatGPTに質問する。それでも分からない場合は、公式ドキュメントを参照する。
もちろん、自分が扱う内容が複雑になってきたという側面もあるとは思う。しかし、数年前までは個人ブログや技術メモで十分だったような内容が、今では検索に引っかからない。
静かに、でも確実に、情報の層が薄くなっている感覚がある。
ブログにコメントがつかなくなった
かつて、読者との交流といえばコメント欄だった。
ブログを書く人も読む人もお互いにブログを持ち、相互リンクやコメント返しが日常だった。「読む」ことと「書く・関わる」ことが切り離されていなかった。
しかし、2010年代以降、SNSが登場し、感想はXやインスタで共有されるようになった。
スパム対策の意味もあり、コメント欄を閉じるブログも増えた。
今はLINEなどのチャットツールが主流だ。短文や画像一枚でやり取りすることが当たり前の時代。
だが、情報量の少なさゆえに、すれ違いや誤解も多く、やり合っている姿を見るのも疲れる。
短文でやり合うこの時代、正直、少し疲れちゃった。
検索結果の上位が企業メディアで埋め尽くされる
現在の検索結果は、ほとんどが企業運営のメディア記事で占められている。
構成がしっかりしている記事が優遇される傾向にあり、個人が軽くまとめた技術メモなどは上がってこない。
「これはどういう仕様なのか」と思ったときに調べるのは苦にならないが、「この商品を実際に使った人の感想が知りたい」となったときには難しい。
Amazonのレビューを見ればいいのかもしれない。
しかし、「当時の空気感の中でこの商品をどう感じたのか」といった一次的な体験の記録は、もう検索しても見つからない。
「ググるよりChatGPT」時代
コードを書く人間にとって、ChatGPTはすでに不可欠なツールになりつつある。
自分もまた、不具合や仕様の確認でChatGPTに頼ることが増えている。
もちろん、使いこなすには一定の知識が必要だ。しかし、エンジニアですら「もう検索しなくてもいい」と思いはじめている現状がある。
Google検索に出てくる記事の信頼性も、ChatGPTと比べて大きな差があるかというと、そうでもない。
「ググるよりChatGPT」という流れの中で、ブログ記事の存在意義は確実に揺らいでいる。
それでも書く意味
それでも、自分はブログを書きたいと思っている。
ChatGPTは便利だが、書いた当時の空気感や感情までは拾えない。
自分が検索するのは、誰かの体験を通して「共感」や「確認」が欲しいときだ。そして、それは今のAIではまだうまく担えない部分だと感じている。
これからの時代、日本語自体が少数派になっていく。
だからこそ、日本語で書かれた体験談はますます貴重になっていくのではないかと思う。